• 釜石市にお住まいの加藤直子さんは、絶滅危惧植物であるミズアオイを、片岸の田んぼの隅につくったビオトープで保護していました。

  • これは2010年のビオトープの様子です。

  • 加藤さん、嬉しそうです。

  • 近くを用水路が流れています。後ろのコンクリートの橋に注目してください。

  • ここを、2011年3月11日の津波が襲いました。右がそれ以前の地図です。鵜住居川は長い砂嘴に沿って北流していました。ミズアオイ・ビオトープがあったのは赤い丸のところです。
  • 左が津波後の空中写真です。水色の線が浸水域。砂嘴は流され、防潮堤も破壊されました。鵜住居小学校と釜石東中学校の生徒は無事避難し、後に「釜石の奇跡」と呼ばれることになります。

  • ビオトープのあった場所です。橋の残骸が見えます。

  • 守っていたミズアオイは失われました。でも、土の中にたねは生き残っているかもしれない。多くの人たちの力が寄せられました。

  • 2012年3月、津波堆積物をバックホーで掘ってみました。1.3mほど掘ったところで、田んぼの泥の匂いがしました。この中にたねがあるかもしれない。トラックに積み込みました。

  • 市内の民家の庭をお借りして、池を造り、その泥を入れました。待ち続けましたが、なかなか芽が出てきません。やはりダメだったかと諦めかけた6月末、少しだけ芽生えが現れはじめました。
  • まだまだ油断はできません。似た種類もあるからです。8月、大きなハート型になった葉でいっぱいになったのを見て、初めてミズアオイのたねが生きていたことを確信しました。

  • しかし、いつまでも手狭な池に置いておけません。内陸の鵜住居小学校・釜石東中学校の仮設校舎のそばに、休耕田をお借りしました(ビオトープB)。
  • (なお、ビオトープAは、鵜住居川の河原でミズアオイの再生を促した場所です。)

  • 休耕田を耕して水を張り、そこに中学生や市民がミズアオイを移植しました。

  • そして、2013年の春、イネも植えました。小学生たちの田植えです。
  • シカ除けの柵の杭を打ち込んだのは、地元のラグビーチームです。

  • 2013年の夏。ミズアオイは再び、きれいに咲きました。

  • 小学一年生たちがやってきました。手前にイネ、あとはみんなミズアオイです。現代の水田では考えられない光景ですが、じつはこれが大昔の田んぼの姿なのです。

  • イネとミズアオイが共存する田んぼ。子どもたちのどろんこ遊びが始まります。

  • 10月、稲刈りをしました。手伝ってくれた農家のかたによると、ミズアオイと競争してイネは丈夫に育ったそうです。穫れたお米は、鵜住居小学校の校長先生が「うのす米」と名付けました。
  • こうして加藤さんの努力は報われたのですが、その一方、津波はミズアオイを甦らせてもいました
  • 今回のワークショップはそれがテーマです。
 
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